あの街は今? 大阪編
1. 心斎橋
 『ゴジラの逆襲』(1955)には傑作スチールが多いが、左の写真もそのひとつ。御堂筋を逃げ養う人々の写真に、ゴジラとアンギラスを合成したものだが、自分がこんな状況に置かれたら、本当にこわいだろうな、と思ってしまうスチールである。そして現在の写真が下に掲載したもの。そごう(手前)と大丸の外装が、39年前とまったく変わっていないのには、驚されるばかりである。ちなみに映画では、ゴジラとアンギラスは、心斎橋を訪れていない。
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2. 淀屋橋
 上の写真は、『ゴジラの逆襲』における淀屋橋のミニチュアセット。右に見える大阪市役所のかっこいい建物は、1982年に下のような建物に改築されてしまった。
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3. 大坂城
 この写真も『ゴジラの逆襲』の合成スチールだが、ここも心斎橋と同様、現在でも当時とまったく同じ景観を臨むことができる(多少、手前の立木に視界をさえぎられるが)。
 右の建物は、1931年に建てられ、太平洋戦争中、第4師盟司令部として使われた場所。戦後は大阪市警察本部となり、『ゴジラの逆襲』では、ここに対策本部が設置された。ゴジラとアンギラスが大阪にやってきたため、警官たちが避難しているというの
が、このスチールの設定である。1960年、大阪市立博物館として開館し、現在は入場料さえ払えば、自由に入館か可能。ゴジラ対策本部が置かれた建築物で、一般人に開放されている場所なんて、ここくらいのものである。
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4. OBP(大阪ビジネスパーク)
 このスチールだけ、他の3枚とは違い、『ゴジラVSビオランテ』(1989)のミニチュアセット。ゴジラの進行方向にあたるOBP(大阪ビジネスパーク)は、大坂城のすぐ北側にあった大阪砲兵工廠跡地を再開発した地区で、現在はハイテク高層ピルが林立する大阪の名所となっている。
 現在の写真は、JR大阪環状線大坂城公園駅からすぐの平野川(第二丸星川)にかかる橋上から撮影したもので、この右手方向には権藤一佐が殉職したツイン21、左手方向にはゴジラ大阪上陸時、斉藤由貴がコンサートを開いていた大阪城ホールがある。
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