ベトナム旅行 1997/10/08-1997/10/12
建設業協会栗原支部のリフレッシュツアーで、4人の男たちとベトナムはホーチミンシティ(昔のサイゴン市)にいってきました。はじめてのベトナムだったので、少し緊張していましたが、思っていたよりも自由化されていて心配はありませんでした。僕の年代だとベトナムというとすぐ「ベトナム戦争」や「ベトコン(ベトナムゲリラのこと)」のことを思い浮かべるのですが、すでに「ベトナム戦争」は遠い昔の出来事で、戦争の後が観光資源になっているという印象を受けました。
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この人相の悪い4人で行きました。戦争記念館にて。 これが「ベトナム風ハルマキ」です。結構おいしいよ
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これがうわさの「おむれつ屋のお姉さん」、ちなみにカメラマンはシクロの運転手 シクロに乗っているのが僕です。
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ベトコンが潜んでいた穴、僕は肩がひっかかって入れませんでした。 一番右があやしい日本語をあやつる女の子です。
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観光地で会ったかわいい女の娘 いわば、ベトナムの「飲み屋のネーチャン」
エピソードその1
市場に買い物にいった時のことです。3人で行ったのですが、買い物をしているうちに2人の友人と離れてしまいました。友人たちを見つけ出そうと、大きな市場の中をうろうろ歩いているに後ろの方から「おにいさん、おにいさん」と呼ぶ声がしました。後ろを振りかえると、小さな女の子が立っていました。「どうして、日本語が出来るの?」と言ったら「日本語の勉強をしているから」とのことでした。「どうしたの?」と彼女が言うので「友人とはぐれた」と友人の特長を話したところ、すぐに友人を見つけて出してくれました。彼女には、あの大きな市場が自分の町みたいなもんなんでしょうね。お礼に1ドル札をあげると、「うちの店はコーヒーを売ってるよ。おかあさんはすごい美人だよ。」というので、3人でついていきました。案内された店に行くと、なるほどきれいなおかあさんがいました。ついでにコーヒーを1000g買いました。女の子は友人にも一生懸命買わせようとするので、友人が「あんたは大阪商人みたいだね」と言ったら、「ほなこと、ありまへん」と返されてしました。友人3人で口を揃えて言ってしまいました。「あんたはたいしたもんだ。出世するよ」って。
エピソードその2
ベトナムの物価は基本的には日本の10分の1程度だそうです。ところが日本人と分かるといきなりボラれます。上記の市場の帰りのことです。ガイドさんには「シクロ(足こぎタクシー)は絶対ボラれるから乗らないように」と言われていたのに、昼食時だったもので,、言い寄ってきたシクロの運転手に、ガイドブックに書いてあった「ベトナム風おむれつ」の店の写真を見せ、場所を聞いてしまいました。「わたし、しってる、ちかい、ちかい」、というので、「いくら?」、と聞くと、「1ドル、1ドル、安い、安い」と言ってきたので、誘惑に負けて乗ってしまいました。近いというわりには「ベトナム風おむれつ」になかなか着きません。ガイドブックの地図上では5分程度で着くはずが15分程かかってしまいました。「ベトナム風おむれつ」の店には間違いないのですが、ガイドブックの写真とは大違いの小さな汚い店でした。中に入ると、お姉さんが注文を取りにきたので、例の「ベトナム風おむれつ」とチキン、ビールを注文しました。このお姉さんのサービスのいいのにはちょっと閉口しました。注文しないビールをどんどん持ってきて、栓を抜いて僕たちのグラスに注いでくれます。僕 たちがちょっとでも「春巻き」なんて言葉を口にするものならば、すぐにメニューを持ってきて注文を取っていきます。おかげで、テーブルの上は食べ物やビールでたちまちいっぱいになってしまいました。とても食べきれないので外で待っていたシクロの運転手を中に呼んで食べさせました。満腹になったところでチェックを頼んだところ「73ドル」とのことでした。日本円に換えれば8500円くらいなもんですが、3人の食事代としてはそんなもんだと思っていましたが、あとからよく考えてみれば8万以上も払ったことになります。外で待たせておいたシクロに乗ってホテルに帰ることにしました。ホテルが近くなってきたらゲートの100m程手前に停められて「はい、着きました」と降ろされてしまいました。「いくら?」と聞いたら「お一人様50ドル」というので「話が違う」と言いましたが、「一生懸命走って疲れたから、遠かったから」と言われ、最終的には一人30ドル程取られてしまいました。ベトナムで使ってきたお金の3分の1以上はボラれている分なのかも知れません。でも、シクロに乗らなければ本当のホーチミンシティの風を感じることも出来なかったと思います。